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6~7世紀の巨大柱穴発見 飛鳥京正殿に匹敵 脇本遺跡
( 来源:  发布日期:2012-01-20 阅读:次)
奈良県立橿原考古学研究所は3日、同県桜井市の脇本遺跡で、6世紀後半~7世紀初めの大型掘っ立て柱建物跡の一部とみられる巨大な柱穴6個が見つかったと発表した。日本書紀には、遺跡のある一帯に欽明天皇(?~571)の仮の御所があったと記されており、関連する建物だった可能性もある。  橿考研によると、柱穴はほぼ方形で1辺約1.3~2メートル、深さ約0.8~1.1メートル。約2.7~3.7メートル間隔でコの字形に並んでいた。建物は東西7.4メートル、南北5.4メートル以上だったとみている。  それぞれの柱穴は、掘り直した跡があった。6世紀後半に建てられた後、老朽化などで7世紀初めまでに建て替えられたらしい。柱の太さは最初が38センチ、建て替え後は最大58センチとみられる。飛鳥京(同県明日香村)で天皇が政務を執った正殿の柱の太さ(約60センチ)に匹敵する。  周辺は、6世紀末に飛鳥京に都が置かれる以前に歴代天皇の宮殿が多く造られた地域で、5世紀に雄略天皇の「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」があったとの説がある。  また、東国と大和を結ぶ交通の要衝でもあり、和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(日本古代史)は「一帯を監視する望楼だったかもしれない。巨大な柱は王権の権威を示すためでは」と話す。  調査地はすでに埋め戻されているが、写真パネルなどを展示する速報展(無料)が5~20日、同県橿原市の橿考研付属博物館(0744・24・1185)である。(渡義人)
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