長岡京「西宮」の回廊跡か 大極殿跡西側に掘立柱用の穴 |
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发布日期:2012-01-20 阅读:次) |
平安京遷都(794年)までの10年間都が置かれた長岡京の中枢、長岡宮跡(京都府向日市)で、桓武天皇が政務を執ったとされる大極殿跡の西側から回廊跡の遺構が見つかったと17日、向日市埋蔵文化財センターが発表した。
大極殿の西350メートルの地中から、掘立(ほったて)柱を立てるための穴21基(深さ1.4~1.6メートル)や、石で作られた溝が出てきた。穴に立てられた柱の間隔は2.4メートルか3メートルと規則的だったと推定され、柱は3列に配置される「複廊」と呼ばれる回廊跡とみられる。
「続日本紀」によると、桓武天皇は789年、第1次内裏と呼ばれる「西宮」から、第2次内裏の「東宮」に移った。これまでの調査で西宮の場所は判明していなかったが、掘立柱の複廊は内裏など重要な施設に用いられることなどから、同センターは「第1次内裏(西宮)の一部である可能性もある」という。
ただ、山中章・三重大教授(歴史考古学)は「内裏は大極殿の北にあるというのが通説」と、遺構が西宮以外の施設である可能性を指摘する。現地説明会は19日午後2時から。問い合わせは(090・3616・4502)へ。(原知恵子)
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