旧満州国の思想弾圧事件 でっち上げ 脅す憲兵隊、資料が語る |
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发布日期:2012-01-20 阅读:次) |
旧日本陸軍の憲兵隊によるでっち上げ事件であったことが分かった、旧満州国(中国東北部)での合作社事件。戦時中の思想弾圧の実相を浮かび上がらせたのは、憲兵隊側の内部資料だった。捜査の過程だけでなく、満州国での過酷な弾圧の様子や、当時の日本人の中国人観を伝える資料も含まれていた。(渡辺延志)
資料は、静岡県の民家で見つかった。関東軍の警察組織である関東憲兵隊特高課に勤務した元下士官の遺品だ。事件の中心人物とされた日本人6人の調書や手記など捜査側の資料などが含まれていた。治安維持法事件の捜査資料がこれほどまとまって見つかったのは初めてだという。
中には、憲兵たちに任務を理解させるために使われた教本も含まれていた。
「警備警察」という教本は、満州国の治安状況と憲兵隊の任務について「我が国治安維持上の最大障害は匪賊(ひぞく)である」「討伐の対象は主として共産匪である」と記していた。匪賊とは、満州国や日本軍に抵抗する現地の人たちの集団を指した。
「極秘」と表紙に印刷された「剿共(そうきょう)実務教案」は、「中国共産党は最大の剿滅目標なり」と述べていた。剿(掃)は、はらい去るの意だ。満州における憲兵は単なる警察ではなく、前線の実戦部隊だった。
中国人に対する当時の過酷な取り締まりの様子をうかがわせる資料もあった。
「憲兵支那語会話」という手帳サイズの冊子は、「路上検問」での「止まれ」「逃げるでない」で始まる。「高等訊問(じんもん)」の項は、次のような「会話」が並んでいる。
「おい、これだけ証拠があるのにまだ隠しだてをするのか」「はやく白状しろ」「どのようなことがあっても白状させるぞ」「どうだ、云(い)え、云え」「早く白状すれば、こんな目にはあわないですむのに」「よし、後悔するな」「来い、目にもの見せてくれるぞ」……
資料を残した男性(故人)は、小学校を出ると家業の農家を手伝い、20歳で徴兵された。満州へ送られ、鉄道の警備などを経て、憲兵を志願していた。合作社事件の当時、28歳だった。
資料には、鉛筆書きの手紙も含まれていた。「私はきゅうちょうです」という女子の名前が記されている。「へいたいさん だんだんおさむくなりました」と始まり、「ほんとうにかわいそうです。国のためにはたらいて下さったのですね」「しなのチャンコロを、うちころして早くかへって来て下さい」と続いていた。
資料を保管するJR総連資料室(東京都品川区)の松山英司さんは、「慰問のために学校で書いたものでしょう。憲兵の仕事をするための心の支えだったのでしょうか……。こんな時代があったことを忘れてはいけない、と教えてくれるようです」と話す。
合作社事件では5人が無期刑を受けた。治安維持法第一条「国体を変革することを目的として団体を結成した」との罪に問われた。執行猶予がつくこともあった満鉄調査部事件や横浜事件などその後の思想弾圧と比べて罰が重く、獄死者も多かった。
満州国の治安維持法は日本の法をもとに1941年の年末に施行された。小樽商大の荻野富士夫教授によると、満州国での運用は日本よりはるかに過酷で、敗戦までの3年半ほどの間で、中国人に対する死刑判決は2000人近くに達したと推計できるという。
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■合作社事件 旧満州で農協運動をしていた農事合作社の勤務者など日本人五十数人を、関東憲兵隊が1941年秋以降に逮捕した思想弾圧事件。治安維持法で5人が無期刑に。発見された旧満州国最高検察庁の資料を松村高夫慶応大名誉教授らが分析した結果、憲兵隊の作り上げた虚偽の容疑だったことが分かり、資料集として不二出版から刊行された。
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