平安の仏像60体確認 兵庫の薬師堂、一挙に |
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发布日期:2012-01-20 阅读:次) |
兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体もの仏像が、10~12世紀の作であることが早稲田大奈良美術研究所の大橋一章教授(仏教美術)らの調査で明らかになった。平安時代の仏像がこれほど多数確認されるのは近年例がないだろうといい、同研究所が保存処理に乗り出した。
お堂の周囲には水田が広がる。区長の吉元明博さんによると、集落の63戸で管理し、正月とお盆にだけ戸を開けるという。「この地域ならどの集落にでもある辻堂で、江戸時代の建築でしょう」と加東市教育委員会文化財係の森下大輔さんは説明する。
ここに調査が入ったのは今年の夏。早大の桜庭裕介講師(文化財修復)は「様式と制作技法から見て、すべてが平安時代の作。これほど多数の平安仏が知られずにいたとは、驚きました」と語る。鎌倉時代になると寄せ木造りになるが、平安時代までは一木造りなので壊れにくいという。
仏像は140センチ以上、100センチ前後、40~50センチという三つの大きさに分類し、ほぼ同数あった。台座が壊れ自立できないものが多く、集めて壁に立てかけられていた。
兵庫県では、達身寺(丹波市)に傷みの激しい平安仏が80体ほど伝わっていることが知られている。「よく似たケースです」と大橋教授は指摘する。「仏像のサイズが多様なのは、いろいろな規模のお寺にまつられていたことを示している。人間の体より大きな仏像は、相当に立派なお寺の本尊だったはず」と推測する。「多くの寺やお堂が戦国時代に破壊され、仏像は放置され雨ざらしになった。その姿に心を痛め、お堂に集め、地域の人たちが代々大切に守ってきた。文化財がどのようにして守り伝えられるのかを端的に示した好例でしょう」と大橋教授。
この地域の歴史に詳しい岡山大の今津勝紀准教授(古代史)によると、加東市のある加古川の中流域は古代に仏教が盛んな地域だったという。
早大では地域の人たちの同意を得て、保存・修復に乗り出すことにした。手始めに、小型仏像19体を東京に運び、9月にあった文化財修復の集中講義の教材に活用。地元負担がないまま、きれいに生まれ変わった。「これであと200~300年はもつはずです」との桜庭さんの説明に、区長の吉元さんは「古い木材ぐらいにしか見えなかったのが、仏様らしくなり驚きました。地域の宝物ですね」とにっこり。すべての処理が終わるのには3年ぐらいかかる見通しだという。(渡辺延志)
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