遣唐使「円仁」の名刻んだ石板、中国で発見 |
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发布日期:2012-01-21 阅读:次) |
平安時代の僧、円仁=えんにん=(慈覚大師、794~864)とみられる名前の刻まれた石板が、中国河南省の寺院で発見された。最澄の弟子で比叡山の基礎を築いたことで知られる円仁は、遣唐使の一員として9年間、中国に滞在した。その間の足跡が具体的に確認されたのは初めて。中国に残された遣唐使の遺物としても、西安で見つかった井真成の墓誌に次いで2例目だ。
石板が見つかったのは登封市の法王寺。お堂を囲む塀にはめ込まれていたもので、縦44センチ、横62センチ。当時、道教を強く信仰する皇帝の命令で、仏教弾圧が激しかった。信仰対象の仏舎利が失われるのを恐れ、地中に隠したことを記し、最後に「円仁」「大唐会昌五年」と刻まれていた。845年に当たる。円仁を研究する国学院大栃木短大の酒寄雅志教授(東アジア古代史)らが現地で確認した。
円仁は、中国での見聞を記録した「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」を書いており、古代の最も優れた旅行記の一つとされる。今回見つかった石板に刻まれた同じ年、仏教弾圧により円仁は都の長安から追放され、帰国の途についた。巡礼行記には、洛陽から鄭州へとたどったことが記されており、法王寺のある登封は、両都市の中間に位置している。
酒寄教授によると、円仁という名は、当時の中国僧には見あたらず、当時中国でも高僧として名の知られた円仁にまず間違いないという。「廃仏の嵐の中、寺の宝の舎利を地中に隠すことになり、事情を記す文を円仁が求められて書いた、というような情景が想定できる。円仁の姿がいきいきと浮かんでくる。画期的な発見だ」と酒寄教授は語っている。(渡辺延志)
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