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日中つないだ「書籍の道」 遣唐使、中国で新見解
( 来源:  发布日期:2012-01-21 阅读:次)
中国を中心に広がっていた古代のシルクロード。だが、中国と日本を結んだのは「ブックロード(書籍之道)」だったという概念を提唱する中国・浙江工商大の王勇教授が新たな見解を発表した。遣唐使の目的は、日本にない本の収集だったというのだ。「本を師と仰ぐという日本の文化の原点なのでは」と王さんは考える。     ◇  中国から西へは絹に代表される特産品が運ばれたが、東の日本には本に象徴される文化がもたらされたというのが、王さんのブックロード論。10年来の持論だ。今回の新たな説は、平城遷都1300年を記念して早稲田大で今月10日に開かれた国際シンポジウムで発表された。  本を集めることに日本がいかに熱心だったか。王さんの調査によれば、717年の遣唐使は中国政府からもらった絹などを売り払って書物を買い求めたとの記録があった。本の購入が第一の任務で、そのうえで可能なら中国皇帝に会うように、と読める文書もあった。本をたくさん持って帰ったとして多くのほうびをもらった遣唐使もいた。  遣唐使に参加した僧がどのような書物をもたらしたのかも調べた。奈良時代には玄(げん)ボウ(ボウは日へんに方)が仏典5千巻を持ち帰るといったケースもあったが、平安時代になると、重複した書籍は姿を消すようになり、10巻本のうちの3巻目と5巻目といった具合にピンポイントで探したと考えられる本が増えるという。  「遣唐使の派遣は20年に1度ぐらいだった。日本にない本は何かを調べて中国へ渡っり探したのだろう。それが遣唐使の大きな目的だったのでは」と王さんは考える。  持ち帰った本は書写するための「種本」だったはずだと王さんは推測する。「中国文化を取り入れようにも、陸続きの他国とは違って、往来が難しいという地理的な制約が日本にはあった。留学生も帰ってこない人が多かった。そこで、本を持ち帰って日本で書き写し、書物を師と仰ぐという方法を考え出したのだろう。日本文化の独自性はそうしたシステムによって発生したのではないか」  この見解に、遣唐使研究で知られる国学院大の鈴木靖民教授は「日本には国の機関として写経所があり、仏教の経典の欠けている巻を探すといった作業を遣唐使が担ったことは想定できる。独自の視点からの研究で、とても参考になるが、遣唐使にはもっと多様な目的があったはずだと考えている」と語った。  「まだまだ未熟な概念なので、これからも深めてゆきたい」と王さんは語った。(渡辺延志)
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