日本の古墳は土を盛るタイプが主流だが、石を積み上げて墳丘をつくる「積石塚(つみいしづか)」も少数ながら存在する。これらは朝鮮半島によく似た型式の墓があることから、「渡来人の系譜を引く人々の古墳」と考えられてきた。しかし近年、それに疑問を投げかける発見が続き、謎が深まっている。
きっかけの一つは、長野県北部にある大室(おおむろ)古墳群での発掘調査だ。
この古墳群は500基以上からなり、積石塚が8割近くを占める。中でも天井石を左右から組みあわせた「合掌形石室」が多く見られるのが特徴の一つだ。
この特殊な石室について多くの考古学者は、朝鮮半島系の墓制と考えてきた。百済などに天井の形がよく似たものがあるからだ。
日本列島ではこの形の石室が5世紀半ばに突然出現する。このため、のちの時代に、馬の飼育の牧が大室古墳群周辺に設けられたことと考え合わせ、「馬の飼育という技術を持って移り住んだ朝鮮半島系の渡来人の墓」とみなされてきた。
しかし、先ごろ行われた大室241号墳(直径14メートルの円墳)の調査で、円筒埴輪(はにわ)や人物埴輪が見つかる。
このことは何を意味するのだろう。
埴輪は3世紀に日本列島で生まれ、数百年にわたって用いられた日本列島の古墳特有の副葬品だ。朝鮮半島南部でも一部出土した例があるが、それは、日本列島から移り住んだ人々が作ったと言われている。典型的な「倭(わ)系」遺物だ。
大室古墳群では、最も古い5世紀中ごろの合掌形石室から、今回調査された最も新しいタイプの合掌形石室を伴う241号墳(築造は6世紀初め)まで、いずれも埴輪を伴うことが明らかになりつつある。渡来系の人々が造ったはずの合掌形石室に、なぜか、日本列島に特有の埴輪が樹立されているのだ。
考古学では、墓制にかかわる要素に、その集団特有の系譜が表れると考えるのが一般的だ。
「埴輪からみる限り、合掌形石室の被葬者イコール渡来系という単純な議論はもう通用しないのではないか」。241号墳を発掘した長野市教育委員会の風間栄一主査はそう指摘する。
実際、241号墳からは、飾り馬具や特殊な矢じりなどが出土したが、これらは日本列島の他の古墳でも見られるもの。大室古墳群全体を眺めても、朝鮮半島系と確実に言える遺物はほとんど出土していない。
一方、「渡来系の墓」説を完全に否定してしまうことにはためらいもある。
「否定する見方もありだとは思うが、その場合、合掌形石室が列島内に突然出現した理由をどう説明するのか。独自に生まれたとは考えにくいし……」と、明治大の佐々木憲一教授。
福岡大の桃崎祐輔教授は「渡来系の人々が埴輪を新たに採用した可能性もある。合掌形石室墳での埴輪の使われ方が、従来の埴輪のあり方と同じかどうか観察を続けるべきだ」と話す。
積石塚は、香川県や長崎県などにも分布しており、中には朝鮮半島製と考えられる轡(くつわ)や耳飾りが出土した群馬県高崎市の剣崎長瀞西遺跡のような例もある。
積石塚というだけでひとくくりで論じる時代は終わったということなのかもしれない。(宮代栄一)
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