首页 English 韩文版 日文版
 
当前位置:首页 > 东亚动态新观察
唐代か明代の重刻か 「円仁」石刻のナゾめぐり研究集会
( 来源:  发布日期:2012-01-20 阅读:次)
中国河南省の法王寺で発見され、昨年、存在が日本に伝えられた「円仁」の名のある石刻をめぐる研究集会が、明治大(21日)、国学院大(23日)、東京大(25日)と相次いで開かれた。比叡山の基礎を築いた慈覚大師円仁(794~864)の唐での巡礼の旅と符合する文面が刻まれた石刻2点の、信頼性を検証するのが狙い。発表や討論を通して〈1〉唐代の作〈2〉明代の重刻(レプリカ)の二つの見解に集約された。     ◇  発見経緯を報告したのは、法王寺のある登封市で文化財を担当する呂宏軍さん。1点は2000年ごろ見つかった。縦45センチ、横62センチほどで、門に連なる塀に04年ごろはめこまれた。塀には寺の歴史にかかわる12枚の石刻がある。09年には塀の近くに石刻が4点放置されているのが見つかり、1点は先の石刻と同じものだった。貴重なので呂さんが倉庫に保管させたという。  石刻には唐代晩期の「会昌5(845)年」の年号がある。仏教弾圧がピークに達した年で、円仁は長安を追放され帰国の途につき、法王寺はその道筋にある。「塔に納められていた仏舎利を守るために地中に隠した」との文面は廃仏の歴史と符合する。円仁という名の人物はほかに見あたらず、慈覚大師を指すことに異論はなかった。  意見が分かれたのは文字の刻まれた時期。一帯は多くの古寺が並ぶ中国仏教の聖地で、近代以前の石碑は1500点以上、唐代の碑は43点確認されているという。それらと風化の具合を比較する調査結果が発表され、「相当に古い」という点で一致。唐代との見方がある一方で、縁取りの文様や書風から明(1368~1644)代の作との意見が強かった。もとの碑が風化すれば彫り直して後世に伝えることは中国の寺院では一般的という。  2点ある理由も議論になった。最初に作ったものに満足できず作り直したとの考えが多く、同じような実例のあることが紹介された。  石刻の存在を日本に紹介した国学院大栃木短大の酒寄雅志教授は「三つの研究集会を通して、円仁の中国での足跡を伝える史料として評価できることが確認された。わからない点、見解の分かれる点は数多いが、研究はスタートラインに立ったばかり。研究が深まってほしい」と語った。 ■「現代に捏造」「偽物でない」  拓本を研究し石刻が2点あることを見つけた書道史家の飯島太千雄さんは「現代の捏造(ねつぞう)品」と指摘している。  根拠として、二つの石刻のサイズ違いをあげていたが、現地調査で文字を刻む区画の横幅が522ミリで一致することなどが確認された。はめこまれた石刻は厳密に外寸を測れないが、基本的に同一と考えていいと判明。拓本は縮むためだったらしく、明治大での集会では乾燥するとどのぐらい縮むのかの検証も行われた。拓本と写真をもとに「彫りが浅く観光みやげのレベル」との評もあったが、浅く見えるのは風化のためで、中国の伝統的な彫りの技法と確認されたとの報告があった。  文面の構成や文字づかいの点で、皇帝に関わる文字の前は空ける、皇帝の名前の文字は使わないといった決まりを守っていないとの指摘には、記されていたのは前の王朝の皇帝なので空ける必要がないことや、皇帝の名なのに使われていた「世」の字は多くの使用例が報告された。  中国の参加者は現地の偽物の多さを認めたうえ、「この石刻は偽物でない」と否定。石刻研究の第一人者で洛陽古代芸術館の趙振華・元館長は「様々な特徴から明らかに古い」と強調した。偽物作りの手法を詳細に紹介した拓本工の裴建平さんは「この石刻が伝える風化の古さは人工的には作れない」と語った。  集会では「捏造」を支持する声は出なかった。綾部宏行早稲田大講師(書道史)は「唐代のものだとすると納得できないが、明や清まで選択肢が広がれば疑問はなくなる」と語った。中国の文字の歴史に詳しく数多くの青銅器の鑑定を手がけた松丸道雄東京大名誉教授は「どの時代に作られたのかを特定はできないが、現代の作でないことは明白になった」と総括した。  飯島さんは東京大での研究集会に書簡を寄せ「石刻史上ありえない書誌。捏造品と判断せざるをえない」との見解をあらためて表明した。(渡辺延志)
友情链接