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信長もサウナ風呂に入っていた? 京都の屋敷跡に遺構
( 来源:  发布日期:2012-01-20 阅读:次)
京都市埋蔵文化財研究所は28日、織田信長が京屋敷として使用した「二条屋敷」跡から、桃山時代の風呂の遺構を発見したと発表した。当時は客を入れてもてなすのが上流階級で流行し、信長が客を歓待したり、自ら楽しんだりした可能性があるという。現存する同時代の建築などから、サウナ式だったとみている。  研究所によると、遺構が見つかったのは平安時代以降、有力貴族の邸宅や後鳥羽上皇の御所があった場所。京都御所の南西約1.5キロにあたる。特に二条家の邸宅は庭園が有名で、気に入った信長が1576年、二条家を追い出して自らの京屋敷としたとされる。  屋敷は120メートル四方の巨大なもので、北側に主殿、南側に庭園があったと推測される。南端部を調査したところ、東西約7メートル、南北約6メートルの範囲の土地に、かまど2基や井戸、土間の跡などが見つかった。研究所は、出土した土器などから信長が京屋敷を構えた頃の遺構と特定。かまど二つを並べた構造などから、風呂の遺構と判断した。  庭園は当時の京都の様子を描いた「洛中洛外図屏風」にも描かれた豪華なものだったとされ、眺めながら入浴できる構造だったとみられている。  絵巻物などによると、当時は鉄釜で湯を沸かし、その上の小屋に入って蒸気で体を温めるサウナ式の風呂だったという。柏田有香・調査研究技師は「桃山時代の生活文化を知る上で大変貴重な発見。町中にありながら壊されることなく遺構が残っていたことも奇跡的だ」と話す。  二条屋敷は1579年、信長が誠仁(さねひと)親王に進上。本能寺の変(1582年)では信長の長男信忠(のぶただ)がここで討ち死にし、屋敷は焼失した。  出土品などは5月1~16日、京都市考古資料館(上京区)で展示される。6、10日は休館。無料。(松谷慶子)
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