御所に新たな「歴史ロマンの里」 秋津遺跡の大型建物跡 |
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发布日期:2012-01-20 阅读:次) |
「古墳時代前期(4世紀前半)にこんなにでかい建物跡があるなんて……」。24日、発表された御所市の秋津遺跡の大型建物跡などの遺構を前に、県立橿原考古学研究所のベテランたちは一様に絶句した。女王・卑弥呼が没してから50~100年しかたっていない時代。「邪馬台国の次の時代の王宮クラスの建物では」との見方もある。御所に新たな「歴史ロマンの里」が現れた。
秋津遺跡は1月に大規模な祭祀(さいし)遺構が見つかったばかり。今回の現場は幅約9メートルの市道を隔てた南側で、京奈和自動車道のインターチェンジの予定地。発掘区域が広く、東西約125メートル、南北約100メートルにも及んだ。
「通常の発掘では、見つからなかったでしょう」と水野敏典・総括研究員。建物跡が大きすぎて、部分的に出土しても気づきにくいという。
建物跡を区画する施設の南からは、竪穴住居跡が多数見つかった。大型建物と同時期のものもあれば、古いものもある。木下亘・主幹は「竪穴住居だった村を強大な勢力が征服した可能性も考えられる」と話す。
御所市は古代の大豪族、葛城氏の拠点だった。だが、始祖の葛城襲津彦(そつひこ)は4世紀末~5世紀前半の武将で、秋津遺跡の方が古い。「強大な勢力」は「原・葛城氏」との見方があれば、初期の大和王権との見方もある。
古社の高天彦(たかまひこ)神社や「高天」の地名が残る葛城山のふもとは、天孫降臨神話の「高天原(たかまのはら)」伝承が伝わる「神話のふるさと」。秋津遺跡は葛城山を間近に望む広々とした平野部にあり、新たな「歴史ロマンの里」となりそうだ。(沖真治)
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