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〈はじめての古墳〉古代史の謎解く鍵 眠ってる
( 来源:  发布日期:2012-01-20 阅读:次)
大昔の豪族や大王・天皇の墓である古墳。巨大な姿は見る者を圧倒する。なぜ、こんなに大きな墓を造る必要があったのか。形はなぜ違うのか。少しずつ解明が進んでいる。     ◇ ■注目  古墳とは、高く土盛りがされた古代の墓のことだ。中でも「天皇陵」は、何かと話題になる。  昨年行われた奈良県の牽牛子塚(けんごしづか)古墳の発掘では、同墳が天皇陵に特徴的な八角形をしていることが明らかになり、「これが本当の斉明天皇陵で、宮内庁が斉明天皇陵だとしている古墳は別人の墓ではないか」といった議論が起きた。 また、今年2月、宮内庁は、応神天皇陵に指定されている大阪府の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳について、研究者の立ち入りを認めた。  このように注目されるのは、古墳が当時の最高の土木技術を駆使して造られており、その規格や大きさ、形などから、そのころの政治や社会の状況まで知ることができると考えられているからだ。  中でも天皇陵は規模が大きく、天皇がなくなった年代が記録に残っていたり推定できたりすることから、古代史の謎を解き明かす上で重要な鍵を握っている。 ■オドロキ  古墳がたくさん造られた「古墳時代」、実は昔の教科書に書いてあったより古いかもしれない。  かつては4~7世紀とみる説が有力だった。大和政権成立の頃の天皇とされる崇神天皇が没した時期を4世紀と考えた、古代史学界の考え方によるところが大きい。  しかし、遺跡出土の木材の年代を調べる研究や鏡の研究が進み、(1)古墳時代とその前の弥生時代の年代がさかのぼった(2)古墳から出土した景初三(239)年という中国の年号入りの鏡の位置づけがはっきりした――などから、古墳時代は3世紀中頃~後半に始まると考える研究者が増えている。 古墳時代を特徴づけるのが、丸い墳丘と四角い墳丘が付いた前方後円墳。日本のオリジナルだ。この古墳が現れると同時に、多くの鏡を墓に収めたり、墳丘に埴輪(はにわ)を立て並べたり……という古墳時代特有の風習が始まることから、近藤義郎・岡山大名誉教授(故人)は「前方後円墳の出現をもって古墳時代が始まる」と考えた。 ■なぜ  古墳には様々な形がある。その違いは何を意味するのだろう。  前方後円墳のルーツをめぐっては、円形の墓に細長い墓道が付いて生まれたという説と、天を祭る円丘と地を祭る方丘が合体したとみる説が有力だ。ちなみに日本列島の巨大古墳はどれも前方後円墳。大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「少なくとも、前方後円=古墳の形の中の最上級と見られていたのは間違いない」。  そしてこう話す。「古墳時代前夜、日本列島では前方後円墳の祖型ともいえる墓をつくる畿内の邪馬台国連合と、前方後方形の墓をつくる東海以東を中心とする狗奴(くな)国連合が争っていた、と私は考えています。やがてこの二つが統合され、畿内政権が生まれる。そして、前方後円墳が誕生したのではないでしょうか」(宮代栄一)     ◇ ◆読む  古墳の築造理由に関する新説を唱えたのが、土生田純之『古墳』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館)。白石太一郎『古墳とヤマト政権』(文春新書)は、初心者でもわかりやすい。 ◆見る  古墳からは豪族たちが用いた豪華な馬具や大刀などが出土する。それらを通じて古墳時代を考える「黄金の世紀」展(長野県・飯田市美術博物館、~8月21日まで、9月から豊橋市美術博物館へ巡回)が開催中。 ◆訪ねる  築造当時の古墳の姿が見られるのが群馬県高崎市にある「上毛野(かみつけの)はにわの里公園」。前方後円墳を埴輪が取り巻く様は壮観。大阪府高槻市にも今春、約200点の形象埴輪が並ぶ「今城塚古墳公園」がオープンした。 巨大古墳は一族の誇り 専修大学教授・土生田純之(はぶた・よしゆき)さん  古墳はなぜ造られたのでしょう。それに答えるのは、実は簡単ではありません。  「万葉集」に「大伴乃(おおともの)……」で始まる大伴家持(おおとものやかもち)の歌があります。「大伴の先祖の御霊屋(みたまや)には、はっきりと印になるものを置きなさい。人に分かるように」という歌なのですが、当時、墓には、見る者に偉大な先祖の後裔(こうえい)としての自信や誇りを抱かせるという役割があったと分かります。そして、より誇りを抱かせるには、墓は大きい方がいい。  人を葬るだけなら、直径2メートル、高さ1メートル程度の土盛りがあれば十分です。古墳時代の人々があれほど大きな墳丘を造った理由は、権力の誇示といったこともあったのでしょうが、家持と同様の心理的背景が存在したためでしょう。  世界的にみると、キリスト教の国々では、王が自らの正統性を示すため、大きな教会を造るといったことが行われました。日本の古代では、それが巨大古墳といった形で現れたのではないでしょうか。  大きな古墳の近くに小さな古墳が造られ続けることがありますが、これは古墳を始祖の墓と認識する後世の人々がかたわらに埋葬されることを望んだ結果だと思います。
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